古市街道 間の山(あいのやま)
伊勢神宮外宮と内宮を結ぶ
かつての街道が古市街道です。
この坂は↓ 間の山(あいのやま)といって
写真でみるよりけっこう急なのぼりです。
江戸時代はこの坂を登ると
遊郭街になっていて
かつては日本三大遊郭の一つだと言われていたんですね。
説明はこちら↓
いまではパワースポットとか
聖地などと呼ばれている伊勢ですが
江戸時代はかなりのエロ地帯でもあった訳です。
だじゃれはともかく
時代とともに人間の認識なんて変わるものなんですね。
坂を登り切ると倭町。
間の山の坂が左手で右手の道をずっと行くと倭姫宮の方に向かいます。
真ん中の樹の茂った古い建物は
両口屋という旅館だった建物ですが
いまはもう取り壊されてしまいました。
今はなき両口屋の建物。間の山坂から撮影
実はこの写真2010年の撮影です。
間の山坂から脇道に入ると谷間が見渡せます。
竹やぶが切り開かれて分譲中って書いてある看板の後ろは
ニャロメの塔があります。
映画やライトのベルの「半分の月が登る空」や
最近では殺人事件が起こったりと
何かいわくありげな場所になってしまいました。
高台から 街が見渡せます。
Down to the River 宮川東岸堤防を下る
伊勢の西を流れる大河宮川。
2004年の大洪水で大倉町佐八町津村町円座町の多くの住宅が水没して
死者はでなかったものの大災害となりました。
それから新しい堤防がつくられました。
とても気持ちのいい道ができました。
お散歩したり自転車でポタリングなどにいいですよ♪
今回は上流から下流に下ってみました。
かつて私は、この川をエビに乗って下ったことがあります。
エビというのは夏になるとホームセンターなどで売っている
空気入れて膨らませるビニールの浮き具です。
プールとかで遊ぶやつです。
ここよりもう少し上流からですが5-6㎞下るのに6時間もかかりました。
川って思ったより流れないものだ、と思いました。
さっそく「へんてこな仲間たち」がお迎えてくれました。
ここもまたもうすこしちゃんと取材したいです。
窓から覗くマネキンがこわすぎです(笑)^^↓
空が広い。川が広い。前方の山が三郷山、伊勢ロマンの森です。↓
大倉取水地から伸びる水道橋。↓
大倉団地。↓
前方に小高く盛り上がっている山は↓
コウシャホーヂンチ、と子どもの頃呼ばれていました。
うっそうとした森と点在する大きなお屋敷がありました。
1960年代昭和40年代の
子どもの頃はこのあたりに住んでこの辺の野山を探検していました。
今ではすっかり住宅街ですが。
大人になって 高射砲陣地 という意味が分かりました。
高射砲陣地のしたはドンデと呼ばれる場所で
バス停では論出となっています。
お木曳のときのドンデン場から由来するのでしょうか。
この堤防ができたおかげで
こういう風景が見れるようになりました。
自分の育ってきた土地を俯瞰できるようになりとても新鮮な景色です。
子どもの頃はこの辺は河原で背の高い草と竹藪に阻まれて
何も見えませんでした。
遠くに度会町の山々が見えます。↓
この景色は子どものころから見慣れていました。
右の富士山のように見える山は大日山です。
330mほどの山ですがここから見ると雄大です。^^
そして手前の岩場でよく泳ぎました。
ここが家から最短の川遊び場でした。
両親に連れられて泳ぎに行った3歳くらいの写真があります。
そこがなんと。
中央構造線だなんて(笑)
あらためて感慨深いものがありました。
そうそうこの岩でおよぎました。↓
うまいことパワースポットだとか言って、観光名所にすればいいのに。^^☆
川の流れは昔とは全然違います。
この辺は深い淵でした。
小学校に行く頃にはここに「ぎゅーとら」の食品工場が建てられて
この岩では泳げなくなりました。
あ、もう少し下流の度会橋付近では
中学生まで泳いでいました。
かつては貸しボート屋さんもあったんですよ。
コーシャホーヂンチ↓
この祠も昔からありました。↓
ここも岩盤がむき出しになっています。
だから祠が建てられたのかしら?これも中央構造線かしら?
ここも毎日通る道ですが、↓
堤防から眺めると全然違った風景に見えるのが不思議です。
このガレージのあたりにうどん屋があったなあ。
昭和の時代には宮川自動車学校があった場所からコウシャホーヂンチを望む。
郷土のヒーロー 松井孫衛門さんの祠
江戸時代、松井孫衛門さんは洪水を防ぐために自ら人柱となりました。
樹にはやどりぎがいっぱい。
昭和の時代は松井孫衛門さんの向こう側に
宮川グランドがあり、伊勢の草野球のメッカでした。
小学生の頃リトルリーグの試合を見に行ったら
アメリカのリトルリーグのチームが来ていて
生まれて初めて
黒人の小学生に握手をしてもらい、すごく感動しました。(笑)
春にはピンクに染まる宮川堤。
中島町(小川町)
川底探検 横和川 上野町
横和川は宮川水系の支流で
矢持町床木から上野町で宮川に合流する。
冬の間、晴天が続くと水が涸れて
川底を歩く事ができる。
雨渕川の合流地点から歩き始める。
すぐに沈下橋がある。
夏はよくこのすぐ上の渕で泳いだりする。
橋をくぐる。
夏によく泳ぎに来た、渕も今は水がほとんどない。
普段なら河原に出来た白い線まで水があるのに。
この先はまだ未知の領域だ。
前々から探査してみたかった。
石灰を含んでいるのだろうか水の白い道を辿る。
しばらく歩くと川は大きく曲がっていた。
この先にどんな風景が待っているのだろうか。
期待が高まる
どきどき............
............
............おおおおお!
思わず声がでた。
人類で初めてここを訪れた気分になる。
人の気配は全くない。この風景を独占。
高台に登って眺めてみると
おおお!大絶景じゃないか。
さらに遡る
再び川は直角に曲がっている。大きなサギが飛び立つ。
正面に見える山は前回行った神山。この先まだまだ続くが、今日の探査はここまで。
もと来た道を引き換えす。
再び沈下橋。
川はあと数百メートルで宮川と合流する。
横輪川はうちの近所を流れる川なので
全行程 徒歩で探査する事ができた。
しかも約1時間のお手軽さ。
そんな場所にもまだ未知なる絶景があるなんで驚きだ。
まだまだ横輪川も奥が深いので横輪町、矢持町も取材に行きたい。
一度、ここを全部歩いて踏破してみたいものだ。
伊勢神宮 夜内宮 宇治館町
伊勢百景は2010年ごろから始めたプロジェクトです。
旅が好きな私、でもいろいろな事情で旅に出られない。
せめて自分の生活圏だけでも旅をしたい。
その旅の記録としての伊勢百景というページをはじめたのです。
それがこちら⇒伊勢百景
最初はホームページから始めました。
そうして伊勢じゃーなる
という紙媒体で35景まで連載させていただきました。
ところが去年、伊勢じゃーなるが休刊になってしまい、
はてなブログにて伊勢百景を再開させて頂くことになりました。
なのでホームページとか伊勢じゃーなる、このブログを合わせると
百景を超えてしまっているのだと思います。
「伊勢だいたい百景」記念としまして、
2016年の第一弾といたしまして
内宮をUPさせていただきます。
伊勢百景的には、内宮は一番避けてきた場所でした。
なぜなら名だたる写真家がここを撮影していますし、
ありきたりな写真や状況でUPするのでありましたら
別に伊勢百景がやらなくても・・・と思っていました。
それでもいつかは内宮にも行かなければ。
画竜点睛を欠くという程のでもないですが。思っていました。
お正月。
伊勢神宮はお正月だけ24時間開放されます。
この時以外に伊勢百景はない。と思って出かけました。
内宮について今さら、何を書けばよいのかわかりません。
子どもの頃から年に数回は来ている場所でもありますし、
いつ来ても凛とした空気に身が引き締まる思いです。
なんて書いても嘘くさいし・・・。
大みそかは年越しまいり、といって
中学生のころから友達とオールナイトで外宮内宮をめぐりました。
伊勢の大みそかは街中が沸いていて独特な雰囲気があって大好きでした。
昔は、カップルで内宮に行くとそのカップルは別れる、
なんて「都市伝説」もありました。
天照大御神は女性の神様なので嫉妬するのだそうです。^^☆
内宮でも特に好きな場所は
風日祈宮(かざひのみのみや)です。
ここは橋を渡ってゆきます。
風と雨を司る神さまなのだそうです。(って今日知りました^^)
元寇の時、神風を吹かせた神さまだそうです。
第二次大戦の時は・・・とツッコミたくなりますが
カップルでお参りすると、別れるみたいな話なので聞き流してくださいね。^^
向こうに神楽殿の灯りが見えます。お守りとか売っています。
私の母方の祖父は表具職人で「天照皇大神宮」の掛け軸を作っていました。
祖父の家に行くと家中「天照皇大神宮」の文字だらけでした。
この文字を見ると祖父の家を思い出します。
ここが正宮です。ここから先は撮影禁止。
お正月のお昼はこの手前100m位からすし詰めの大行列が出来ます。
一度だけ行ったことがありますがもうこりごりです(笑)
神さまに何も願いません。
二礼二拍手一礼の間、
心にフラッシュを炊くように
ピカッと光りを放ち、
それを神さまへの感謝とご挨拶にしています。
神さまには別に言葉は要らないと思います。
正宮の裏には荒御魂(あらみたま)を祭る
荒祭宮この奥の道が気になります。
宇治橋に戻ります。
宇治橋を渡っていたら
後ろで話している人の声が耳に入ってきました。
「今、天上界や神界で大規模な崩壊が起こっていて
それが人間界にも影響しているのよ」などと誰かが話していました。
ふーんそうなのか。
私は霊感も何もなくパワースポットも無縁な俗物です。
伊勢神宮もなんだか子供の頃に親しんできた神宮より
今の方が「有難い存在」になってきた気がします。
その分、遠い存在になった感もあります。
時代と共に人間と神さまとの付き合い方もいろいろと変わって行きます。
今はそういう「神格化」が求められている時代なのかもしれませんね。
それがいいのかわるいのかは別として。
自分に無いもの欠けたものを求めるのかもしれません。
でも本当は、誰の心の中にも神さまはいらっしゃいますし、
それはおおもとの根源的な「神さま」につながっているのだと思います。
「神さま」と書きましたがそれは「キリスト」でも「仏様」でも
同じことだと思います。
ことさら伊勢神宮をありがたがらなくても
わざわざお参りに行かなくても
自分の心の「お社」や「お寺」にお参りすればそれでいいのだとも思います。
それでも実体としての神宮は大好きな場所でもありますし、
伊勢に生まれて住んでいる限りは
神宮はやはりこれからも「身近な神様」としてあり続けます。
神岳の麓の隠れ里 神薗町
伊勢市の南西端 度会町との境界線上にそびえる神岳
その山腹に人知れず存在する?現代の隠れ里。神薗町に潜入してまいりました。
近くを走る県道サニーロードからは集落は全く見えません。
県道から外れて坂道を上ると神薗町があります。
隠れ里といっても時に何があるわけでもなく普通におうちが立ち並んでいます。
ただ、山の中腹なだけに平らなところはなく、坂道が続きます。
お寺を過ぎてどんどん登って行きます。
広場があってちょっとした公園がありました。
ピクニックできる東屋やゲートボール場らしきものもありました。
日曜日の午後なのに人の姿はありませんでした。
更に登って行こうとすると
道は二手に分かれ、どちらも民家に通じていてそれ以上先には行けませんでした。
帰りはゲートボール場の脇に道があったのでそちらに行ってみました。
ニワトリも放し飼いです。
通行もほとんど無いみたいで
道には落ち葉がいっぱいでした。
墓地の脇を降りてゆくと
神薗工業団地がありましたが、看板があるだけで
まだこれから開発するようです。
検索してみると伊勢市のHPにありました。
自分で開拓いや造成してくれ、とのことです。
よし、いっちょうやったるか・・・。(笑)
更に田んぼ道をゆくと
里山を森がありました。あぜ道をどんどんゆくとどこまで通じているのでしょうか?
フェンスに囲まれた道がありました。
最近は獣害対策とやらでどこも山はフェンスで囲まれてしまいました。
「獣害」っていうのも動物には何の罪もないのに汚名を着せられて気の毒な気もします。農業を守るためには仕方がないのでしょうね。
やがて道はフェンスですべてふさがれて行き止まりになっていました。
同じ道を戻り県道わきの細い道をゆくとその先には
ひみつ地下道を発見!上はサニーロードが通っています。
こうして隠れ里の旅はおわりました。