Down to the River 宮川東岸堤防を下る
伊勢の西を流れる大河宮川。
2004年の大洪水で大倉町佐八町津村町円座町の多くの住宅が水没して
死者はでなかったものの大災害となりました。
それから新しい堤防がつくられました。
とても気持ちのいい道ができました。
お散歩したり自転車でポタリングなどにいいですよ♪
今回は上流から下流に下ってみました。
かつて私は、この川をエビに乗って下ったことがあります。
エビというのは夏になるとホームセンターなどで売っている
空気入れて膨らませるビニールの浮き具です。
プールとかで遊ぶやつです。
ここよりもう少し上流からですが5-6㎞下るのに6時間もかかりました。
川って思ったより流れないものだ、と思いました。
さっそく「へんてこな仲間たち」がお迎えてくれました。
ここもまたもうすこしちゃんと取材したいです。
窓から覗くマネキンがこわすぎです(笑)^^↓
空が広い。川が広い。前方の山が三郷山、伊勢ロマンの森です。↓
大倉取水地から伸びる水道橋。↓
大倉団地。↓
前方に小高く盛り上がっている山は↓
コウシャホーヂンチ、と子どもの頃呼ばれていました。
うっそうとした森と点在する大きなお屋敷がありました。
1960年代昭和40年代の
子どもの頃はこのあたりに住んでこの辺の野山を探検していました。
今ではすっかり住宅街ですが。
大人になって 高射砲陣地 という意味が分かりました。
高射砲陣地のしたはドンデと呼ばれる場所で
バス停では論出となっています。
お木曳のときのドンデン場から由来するのでしょうか。
この堤防ができたおかげで
こういう風景が見れるようになりました。
自分の育ってきた土地を俯瞰できるようになりとても新鮮な景色です。
子どもの頃はこの辺は河原で背の高い草と竹藪に阻まれて
何も見えませんでした。
遠くに度会町の山々が見えます。↓
この景色は子どものころから見慣れていました。
右の富士山のように見える山は大日山です。
330mほどの山ですがここから見ると雄大です。^^
そして手前の岩場でよく泳ぎました。
ここが家から最短の川遊び場でした。
両親に連れられて泳ぎに行った3歳くらいの写真があります。
そこがなんと。
中央構造線だなんて(笑)
あらためて感慨深いものがありました。
そうそうこの岩でおよぎました。↓
うまいことパワースポットだとか言って、観光名所にすればいいのに。^^☆
川の流れは昔とは全然違います。
この辺は深い淵でした。
小学校に行く頃にはここに「ぎゅーとら」の食品工場が建てられて
この岩では泳げなくなりました。
あ、もう少し下流の度会橋付近では
中学生まで泳いでいました。
かつては貸しボート屋さんもあったんですよ。
コーシャホーヂンチ↓
この祠も昔からありました。↓
ここも岩盤がむき出しになっています。
だから祠が建てられたのかしら?これも中央構造線かしら?
ここも毎日通る道ですが、↓
堤防から眺めると全然違った風景に見えるのが不思議です。
このガレージのあたりにうどん屋があったなあ。
昭和の時代には宮川自動車学校があった場所からコウシャホーヂンチを望む。
郷土のヒーロー 松井孫衛門さんの祠
江戸時代、松井孫衛門さんは洪水を防ぐために自ら人柱となりました。
樹にはやどりぎがいっぱい。
昭和の時代は松井孫衛門さんの向こう側に
宮川グランドがあり、伊勢の草野球のメッカでした。
小学生の頃リトルリーグの試合を見に行ったら
アメリカのリトルリーグのチームが来ていて
生まれて初めて
黒人の小学生に握手をしてもらい、すごく感動しました。(笑)
春にはピンクに染まる宮川堤。
中島町(小川町)